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私の日本縦断始末記(1964年4月第9号)

◆ツーリング パッケージ・旅  伊藤幸雄

◆私達二人の伊豆半島一周の試み  高木啓次

◆カタログ紹介 プジョー/レイノルズ/ジョス 

◆スポーツ車、部品の寸法  前田守一

 

f:id:jcao:20200930235926p:plain80頁 150円 

 

【口絵】木曽路アルバム2  山根徳太郎

◆随想 紀行と空想  岡村洋一 

椿の名所大島をたずねて  山口和幸

津久井渓谷ー相模湖回りのラン  熊田晴幸

 

埼玉県宮城県間、年末20時間の走行  我妻正美

東京ー大阪ー名古屋  完走記録文  長沼秀雄

 

#私の日本縦断始末記

・・1960年8月25日、午前3時静岡駅前をスタート。これが私の日本縦断のスタートだ。

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婦人用の中古車を拝借して下宿の人々のおどろきを気にもせず、静岡→東京を決行したわけである。


 三島に着いたのが確か8時頃だった。すっかりバテた身体と自転車を引きずりながら天下の箱根を登り始める頃から天気がおかしくなってきて、日が照っているのに雨が落ちてきた。

 

 台風14号が来ていることを忘れていたのだ。・・

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【どんな時代?】

 ワンカップ大関

 当時の大関社長・十代長部文次郎の「コップをそのまま酒の容器にしてメーカー名の入ったラベルをつけて売り出す」という提案を受けて1964年の東京オリンピックに合わせて商品化された。

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  発売直後の売れ行きは、冷や酒、コップ酒は品が悪いというマイナスイメージもありヒットと呼べるほどではなかった。

 

 しかし、1966年に新宿駅と上野駅の駅売店で販売されたのに続いて、1967年に酒類業界で初めて自動販売機を設置した。

 

 このような販売努力によって、ワンカップは、既成のマイナスイメージを克服して徐々に消費者に浸透し、売り上げは次第に伸びていった。

      ウィキペディアより

 

 

 

 

◆カタログ紹介 プジョー/レイノルズ/ジョス

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・・レイノルズは、自転車の一番基本になる、車体のパイプのメーカーで、イギリスにあります。


 特にレイノルズ531という名で売り出されているマンガンモリブデンのバテットチューブは、世界中どこの国でも、高級車になるとどうしてもこの531を使わなければならないほど、有名になっています。