【林道あ・ら・かると】大笹林道(日光から鬼怒川へ) 鈴木幸男
◆英・仏・米の自転車情報 杉野 安
【アトリエ訪問】ズノウ製作所(大阪市)
450円 126頁
◆イタリアの少年達の草レース 宮沢清明
◆世界選手権ロード テレビ観戦記 宮沢清明
◆私の自転車 自分史3 今井彬彦
2000m級の峠越え その記録と反省 奥秩父・大弛峠 南ア・北沢峠 糟谷武彦
【閑談閑話】旅、そしてその有り様 今井彬彦
# 誰も言わなかった女性サイクリング
〇座談会 萱場きよ、棚瀬 延、加藤裕子、尾方理絵、奥山深雪、宮谷容代
左から萱場きよさん、加藤裕子さん、尾方理絵さん
加藤:私はやっぱり自転車で好きだったのは、下りですねあの爽快さがたまらなくて、舗装の下りのほうがこわいですね。スピードがどんどん出ちゃうんで。砂利の下りが好きでしたね。(中略)
萱場:私は逆ね。登るのが好き。
尾方:私もです。砂利の登りが一番好き。
萱場:私もそうなの。止めてくれるのね。舗装はだめなのね。滑りそうで。砂利道は何と言うのかしら、登りやすいのね。
〇女性用サドルの問題点 ー米女性研究家のレポートを中心としてー
井上重則、内田 謙
【どんな時代?】
第二次臨時行政調査会
1981年に発足し、鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」を達成すべく、行財政改革についての審議を行った。会長を務めた土光敏夫の名前から「土光臨調」とも呼ばれる。
行政改革を謳い文句に、各省間の総合調整、各省定員、予算編成権の抜本的な検討が、政界や財界を中心にして提案された。
程なくして、概算要求基準で予算の伸び率をゼロとする「ゼロ・シーリング」が導入されたが、大蔵省が主導する予算編成権に関する抜本的な変化はなかった。
ただし、政治的圧力や官僚の抵抗を受けつつも、田中角栄等の大物政治家の支持を取り付け、三公社(国鉄、日本電信電話公社、日本専売公社)民営化などの提言は、中曽根康弘政権の一連の行政改革に結実していった。
ウィキペディアより
◆天草 宮崎〜佐多岬〜開聞岳〜串木野〜天草下島 山本進一
・・途中のあちこちで降られ、一時は雷に前進をはばまれたりもした。どうにかここまで来たが、この雨だ。チャンポン屋の兄さんも、阿久根までなら車で送ろうと、しきりに同情してくれる。
と、その時だった。十メートル先も見えず降っていた雨のトタン屋根を打つ大音響が、一瞬にして消えた。雨域が去ったとする表現がよかろうか、そこに一枚の仕切板でもあるかのように、雨の壁が遠ざかっていく。
私は兄さんと顔を見合わせて笑い、次に振り返ったとき、もう外には強い日射しがカッと照りつけ、南国の夏が戻っていた。・・
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