◆こだわりの1台 軽量ATB 奥村道夫、新田眞志
◆サイクリング私の世界 森 一久(多摩川サイクリングクラブ)
◆秘境秋山郷を行く(長野県) 野反湖~渋沢ダム~水平歩道~津南 片山光夫
◆入山峠に6台のミニベロ集合(東京都) 西川明成
580円 82頁
【巻頭】フォト 第8回ハンドメイドバイシクルフェア
◆都会人たちへの旅報告 7 信楽あたり 山本進一
◆エッセイ風フォト紀行 東頸城丘陵 写走派「風」
【クラブハウス】チーム・ラバネロ(東京都練馬区)
# 十二段峠と大覚野峠 秋田内陸・薫風の峠越え 糟谷武彦
・・秋田内陸縦貫鉄道・阿仁マタギ駅。新緑と残雪の山々に抱かれた谷あいの小さなプ
ラットフォームに、急行「もりよし号」二両編成の気動車が静かに滑り込んだ。・・
・・東西に走るブナの原生林の尾根のささやかなタワミを乗っ越す風格を備えた古(いにしえ)の峠みち。憧れの十二段峠に立った第一印象は、吹き渡る爽やかな初夏の風と、その風に若葉をしきりに震わせるブナの大木、そして涼しい木陰であった。・・
【どんな時代?】
超円高に
平成時代の為替相場で最も大きな出来事として記憶しているのはドル/円が80円を割り込んだ1995年の円高だ。当時、日本銀行で為替介入を担当していた自分が感じたのは「無力感」だっだ。
買っても買っても、ドル/円は下がっていく。日銀はアナウンスメント効果を狙い、市場に分かる形で介入をしていたが、それでも皆がドルを売ってくる。
ドル/円が79円75銭をつけた1995年4月19日、日銀は介入をしなかった。いくら買っても下げ止まらないので、様子を見ることにしたのだ。
そしてドルは80円を割り込んだ。「介入をしないから、ついに80円を割り込んでしまった」――。そう思った瞬間がボトムだった。そして、不思議と介入を止めるとドルは反発し始めた。
◆サイクリング私の世界 森 一久(多摩川サイクリングクラブ)
・・「四方八百里に余れる武蔵野に人馬充ち満ちて...」といった美文調の大ボラに乗せられて、真冬の比企や狭山の丘陵をまわった。
「太平記」を読み、関係する資料や案内書をあさって地図を眺めていると、華やかな合戦絵巻とともに自分が走るべきコースが鮮やかに浮かんできた。
まさか自分が新田義貞のつもりになるほどひどくないにしても、まさに「思い込み」によるサイクリングコース誕生であった。・・