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自転車競技への招待(1968年5月特集増大号)S43

◆自転車競技を見る人に  横尾 明

◆自転車競技を始める人に  藤本 繁

◆自転車に興味を持ったひとに  沼 勉

 

f:id:jcao:20201027183343p:plain280円 174頁

 

【グラビア】1967年世界選手権 / 自転車競技切手 / ディレーラー・コレクション / 輪行袋の使い方 / 1967年中央大会ハイライト

◆1967年に活躍した主な選手

 井上、今村、田辺、斧、早狩、伊藤

◆1967年競技記録

 

#競技用自転車

・・一般にスクラッチ用の自転車はホイールベース(前・後輪の距離)が短く、ホークオフセット(ホークの曲がり)が小さく、アングル(ホークや立パイプの角度)が立っているのが特徴です。  

 

 さらに競技の性質上相手を牽制したり加速度をつけて走るためにバンクを利用しますから、ペダルが傾斜した路面に接触しないようにボトムブラケットクリアランス(ボト

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ムブラケットと地面との間隔)を比較的大きくしてあります。

 

 フレームパイプの肉厚も厚く、ホークも太く、使用されている部品も軽量よりも強度を重視したアッセンブルです。鉄製のハンドルバーやステム、幅の広い太いチェーン、車輪もスポーク数が多い頑丈なものが大部分です。・・

 

 

 

【どんな時代?】

 小笠原諸島返還

 小笠原諸島は19世紀初頭まで、一時的な滞在者を除き、長らく無人島であった。1830年、交易の需要を当て込んで、主に欧米出身の男女25人からなる移民団がハワイのオアフ島から父島に本格的な入植を開始した。

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 1876年、明治政府は欧米諸国の同意を得て、小笠原諸島の領有を成功させる。父島や母島に住んでいた先住者は全員、日本に帰化させられた。

 

 そして第2次大戦末期になると、日本軍は硫黄列島を含む小笠原諸島に住んでいた住民のほとんどを本土に強制疎開させた。

 

 1968年、小笠原諸島の施政権が日本に返還され、小笠原諸島民にようやく父島・母島での再居住が認められた。

     nippon.comより