◆’68東京サイクルショウ ”世界に伸びる日本の自転車”
◆丹後の春(京都府) 栗本敬三
◆10000キロの自転車旅行 斎藤 実
200円 110頁
◆私のサイクリングあれこれ 村川英夫
◆志木街道[引又街道](埼玉県) その2 園尾哲郎
◆サルデニア島一周レース追従記 鈴木正文
シクリスム概論 第1編 基礎編 第5章走路 鳥山新一
オーダーメイド読本 第13回 自転車の性能 有吉一泰
血液型 ー自分の型を確認しようー 今井春美
【巻頭】フォト 柳沢峠 原 明吉
# 長距離旅行の自転車 ー考え方と改造、取扱いのポイントー
ツーリング用自転車、改造のポイント、キャリアーとバック、ハンドル、車輪、
変速関係
・・現在の自転車は前ギア二段、後ギア五段という10段変速が一番多く普通のものですが、旅行車の場合は前ギアを三段にして、15段というのがよく使われます。(中略)前三段の場合は四八、四四、三〇というように、初めの二段は少し差を少なくし、三枚目はうんと差をつけるが旅行用としては使いやすい組合せで、・・
【どんな時代?】
♪ 帰って来たヨッパライ
ザ・フォーク・クルセダーズのデビューシングルであり、同グループの代表曲である。もともとは、自主制作LPの『ハレンチ・ザ・フォーク・クルセイダーズ』に収められていた曲である。
1967年11月5日に、この曲がラジオ関西の深夜番組『若さでアタック』で放送されて近畿地方で密かなブームとなった。
それを聞き付けた高崎一郎が自らパーソナリティを務める『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で流したところこれが切っ掛けとなり、たちまち日本全国に反響が広がった。
局は「この曲はオールナイトニッポンだけでかけろ」と指示。相乗効果でオールナイトニッポンも人気番組となった。シングル盤の売上は累計283万枚に達した。
ウィキペディアより
◆連載対談 山本貞夫氏( 横浜サイクリングクラブ(YCC)事務局長、神奈川県サイクリング協会役員、日本サイクリング協会役員)
・・日本でサイクリングの最先進県といわれている神奈川県の現在を作り上げたのは、この人を中心とした協会のスタッフの大きな功績だし、
古くからのオーソドックスなサイクリング活動も、この人のグループで横浜サイクリングクラブの面々で、初期の頃の日本のサイクリングの正統的な姿を残しているのを見ると、かってのNCTCの残した種がこんな所に開花しているのを感じさせる。・・
(*゚▽゚)ノ この記事の一部をお読みになりたい方はこちら