ニューサイクリング 図書館

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昭和初期のサイクリング界(1970年6月号)

◆乙女13ビキ+α 九十九里を行く(埼玉県~千葉県) 

◆カナダーパナマ15000キロ一人旅 (続き) 沢登一彦君に聞く 

◆東京-大阪24時間トライアル  走者 藤田照夫、記録 今井千束

◆夜の峠越え ー志賀坂峠ナイトランー(埼玉群馬県境) 今泉敏行   

 

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◆シクロスポルティーフについて2  沼 勉

◆スポーツ車の調整と修理と手入れのはなし ホイール2  萩原慎一 

 サイクリストから見た現在の人力飛行機に対する疑問  小上馬正和

【巻頭】フォト 世界チャンピョンの自転車

 

 

# 昭和初期のサイクリング界  堤 一巳

・・昭和10年に日米商会フェザー号、宮田スポーツ試作車、仲豊商店スポーツ車が相前後して発売された。

 

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   この三車は従来の実用車とは異なり、所謂英国のクラブモデル車に近い機能をもち、車体重量も11㎏前後、後車に14枚のフィックスと18枚のフリーのギアを持ち、

 

ウイングナットによって後輪を逆にすることにより一応、二段変速の機能を果たした。ブレーキもわが国に初めてキャリパーが使用された。   写真は昭和11年に発売された日米商会フェザー号

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【どんな時代?】

 よど号ハイジャック事件

 1970年3月31日、羽田空港発板付空港(現・福岡空港)行きの日本航空351便(愛称「よど号」)が赤軍派を名乗る9人によってハイジャックされた。

 

 f:id:jcao:20191111062454p:plainalign=犯人グループは北朝鮮へに向かうよう要求。よど号は福岡空港と韓国のソウル金浦国際空港での着陸を経たあと、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着。犯人グループはそのまま亡命した。

 

 乗務員を除く乗員と乗客は福岡とソウルで順次解放されたものの、山村新治郎運輸政務次官が人質の身代わりに搭乗し、乗務員とともに北朝鮮まで同行した。

 

 山村新治郎は乗客救助の功により内閣総理大臣顕彰を受賞した。この件により一躍郷土の英雄となり、「男・山村新治郎」のキャッチフレーズで当選を重ね、のちに農林水産大臣や運輸大臣を歴任する。

     ウィキペディアより

 

 

 

◆カナダーパナマ15000キロ一人旅 (続き) 沢登一彦君に聞く

ーメキシコの第一印象は?

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 やっぱり入ったとたんに、もちろん言葉も違いますし、環境が全然違う感じですね。何か荒涼とした感じで。けれどもメキシコ人はアメリカ人よりも世話好きですね。みんな俺の所にこないかってちょっと知り合いになるというんですよ。とにかくのんびりムードで、こせこせしていないですね。

           ※写真は親切なメキシコのお巡りさん

 

ー自転車はあるんだろうか。

・・いや、ほとんど見なかったですね。ただレースは盛んで、1200キロのロードレースなんか僕のいた時ありましたね。自転車はフランス系統のトルーカという工場があってレーサーなんか作っているようでした。