◆第16回東北一周ロードレース 畠山 潤
◆ブレーキ操作について 小山泰男
◆ニュージーランドの旅(3) 北浦昭治
116頁 180円
◆ シクリスム概論 レースの統括団体 鳥山新一
◆オーダーメイド読本 競技選手の乗車姿勢(2) 有吉一泰
◆大山街道 園尾哲郎
◆世界選手権プロロードの感想 鈴木正文
◆世界選手権をみて 安倶 輝
◆富士スバルラインを行く 飯田弥七
眼と読書と光とコーヒーと 今井春美
神奈川県にサイクリング道路建設
天の橋立 鳴瀬博美
高校生無茶苦茶旅行 菊谷 洋
伊豆を走る 中山正則
#ベルギー世界選手権 加藤 一
・・吉川多喜夫選手は、第2次予選の敗者復活戦で、スイスとオランダの選手と闘った。三コーナーのカントで二人を上に押し上げながら、カントを下りざま全力ダッシュしそのままゴール、準々決勝に勝ち上がった。
一方平間誠記選手も、ベテランのルッソー、マン選手を相手に吉川と同じ走法でカントをフルに利用、四コーナーの手前からダッシュ、末上がりに回転をあげ、さすがに予選11秒73を出したルッソーも平間の最後のすさまじいスプリントを追う事ができなかった。
かくして平間も準々決勝に勝ち上がり、ここではじめて二人の日本の選手が世界のベスト8の中にはいった。・・
※写真は平間選手。その右側は筆者。
【どんな時代?】
オールナイトニッポン
1967年10月2日深夜から放送開始。放送が開始された1960年代後半というのは、いわゆる団塊の世代が大学生生活を送っていた時代である。
それら若者を対象にそれまでテレビやラジオで流れることはほとんどなかったビートルズやレッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックスなど海外のロックミュージックからザ・フォーク・クルセダーズなど日本のフォークソングをふんだんに流した。
気取らないパーソナリティ達の人柄にも惹かれて、毎週2万枚ものリクエストやお便りが届き、人知れずひっそりと始まった『オールナイトニッポン』は、1年もせずにニッポン放送の看板番組に。
TBS『パックインミュージック』・文化放送『セイ!ヤング』と並んで深夜放送そのものが『深夜の解放区』として一種の社会現象となるに至る。
ウィキペディアより
◆裏磐梯高原サイクリング 佐藤賢一
・・走り出して5分、このスカイラインの最高地点、標高1622mを通過。雨は強く私を押し流そうとするかの如くに降り注ぐ。坂道だ!(中略)
急に自転車速度に加速が付きブレーキレバーを握る暇もなく、思わず飛び降りると云うひとこまもあり、調節ネジを締めることによりレバーを握る指に一寸力を入れるだけでもブレーキゴムはリムをこするようにしたり、気休めに後輪の発電ランプを回したりした。
幕の湯付近の坂道では、左側のペダルに足を載せて、あいた右足のズック靴で持って路面を摺り足でブレーキの役目をさせたりしたが、これも片足で全体重を支えるので、左足が痛くなってとても長くはやっていられない。・・
(*゚▽゚)ノ この記事の一部をお読みになりたい方はこちら