◆シクリスムの科学 スポーツ衛生学 前田守一訳
◆消えてしまった秘境(続) 片山浩三(常陸CC)
◆輪行を目的とした自転車の製作手記3 ーチェーンリングの製作ー 阿久津勇
250円 80頁 スイス・ウェッターホルン・ラウテラール氷河 鳥山新一 撮
◆アフリカ自転車旅行レポート4 エチオピアにて 中島正満
◆柚ノ木峠考 小上馬正和
◆自転車に乗らないサイクリスト 独り言4 小松崎均
世界サイクルデザインコンペティション 入賞発表
【巻頭】フォト 甲斐の湖で 今井千束 / マイ パスハンティング 山田洋一
軽井沢から和美峠を下る 石山 裕
# 真冬の北海道サイクリング紀行 大沼公園~室蘭~苫小牧~襟裳 城 信夫
・・土やアスファルトの道ならそれほどでなくても、氷の道ではコトはやっかいである。急にハンドルをきればタイヤが滑って転倒する。急にブレーキをかけても同じことである。
後かからの風に押されたり、下り坂などでスピードが出すぎると、ブレーキではどうにもならない。やむをえず、自発的に転倒しなければならなくなる。・・
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【どんな時代?】
オイルショック
1973年秋、第4次中東戦争の勃発に伴うアラブ産油国(OAPEC)の石油戦略により、石油価格が高騰し、世界経済に大きな衝撃を与えた。
安価なアラブ原油に依存していた西側先進工業国の燃料不足、原料不足をもたらし、生産が低下して急激な物価上昇となった。
国内ではマスコミも連日、石油資源の不足を報道したので、11月には消費者がスーパーに押しかけてトイレットペーパーを買いだめするなどの大騒ぎとなった。実際には品不足ではなかったのだが、マスコミと口コミによる情報に多くの人が踊らされることになった。
政府は「省エネ」を国民に呼びかけた。ガソリンスタンドの日曜営業の停止やテレビの深夜放送の停止、ネオンサインを消す、マイカーの自粛などが行われた。
◆エディ・メルクス 3<その勝利の陰の人々> 沼 勉
・・1961年、エディが15歳の終りも近づいた頃、学業も無事終了し、将来の方向を決めなくてはならない時、長男であるだけに家族は父親の商売の手伝いをすることを希望し
母親は自転車レースの危険性と成功のむずかしさからあくまで反対で、父親がそれを説得する形になったそうです。
母親の反対が続く中で、翌年あるレースに出場し、エディは見事このレースで生まれてはじめて勝利を飾り、これが契機となって母親は、エディがプロレーサーになる事に同意したと言われています。・・