◆パリからの便り 「随想Ⅱ」 加藤 一
◆スプリントの世界 全日本選手権で 岡島伸平
◆私の見たヨーロッパのアマチュアレース 吉田治久
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◆ロードレーサーからスポルティーフへの改造 <プジョーPX-10E> 今野 義
350円 94頁
三重県 田曽浦
【巻頭】フォト 御斉所街道 原 明吉
【巻頭】自転車とオーダーメイド フレームパイプの制作過程
◆風景について 綿貫益弘
◆自転車談義 ー大島美之氏の自転車をめぐってー (後編)
年越しサイクリング 雪の道坂トンネル(神奈川県) 霞山春景
風と共に走る 1 萩原慎一
私の自転車観 鈴木 徹
松姫峠 遠藤浩寿
犬越路林道(神奈川県) 原田浩司
# サイクリングの装備 ウェア偏 1 ズボンのこと
・・かって、サイクリングの初期の時代に、たまたま種々の知識参考となったイギリスのあり方が日本に於いて中心となったため、その服装関係もイギリス好みの、ブレザーコート、ハンチング、ニッカーズ、ニッカ-ホース(靴下)というスタイルが本格的なスタイルのお手本となっていましたが、・・
【どんな時代?】
ペヤング ソース
まるか食品が1975年3月にカップ焼きそばとして発売開始。
「屋台の焼きそば」で使用されていた容器からの発想によって、カップ焼きそばとして初めて四角形の容器を使用した。
ウスターソースは液体状で他社と違いあっさりした「まろやかソース」を使用し、そのソースを吸収しやすいように小麦の配合を工夫した麺を採用している。
(以上、ウィキペディアより)
ぺヤングの語源は「ペア+ヤング=ペヤング!」。当時カップ麺は袋麺と比べ高価でおシャレ度の高い食品であった。カップ麺を高いと感じた若いカップルには2人で1つのものを仲良く食べて欲しいという願いから。
(以上、ナナグルメから)
大正時代のサイクリングクラブ 橋本二三次氏の手紙より
・・この店のおじいさんが富岡徳太郎さんと言ってもう70才すぎの人です。この人が大正後期より、昭和初期にかけてサイクリングクラブ(遠乗会)を作り、主に福島、茨城、栃木あたりを走っていたという事です。
人数は写真のように6人の仲間から成っており、使用していた自転車は、左と右の二人の乗っているのが、当時のスポルティーフだそうで、木リムに細いタイヤを付けて走っていたそうです。まん中の4人は普通の実用車のようです。
又、6人の服装についてですが、頭にのせているのは、ハチマキではなく、揃いでオーダーしたつばの無いキャップで、上衣もそろいの半天、これも6人そろえてオーダーし、紺屋で染めてもらったものです。(中略)
今から50年以上の昔であり、又地方の事ですから、街道沿いの家々からはヤジ馬が群がり、一体何事かと言う事で大変だったとのことです。・・