ニューサイクリング 図書館

ランドナー / 輪行 / 峠 / 地道 / オーダーメイド

バリエーションオーダー 一挙に7台(1986年8月号)S61

◆讃岐通信 高松ポタリングと琴平からの峠  奥田茂雄

◆プレボー氏のエルス・トリプレット  今井千束     

【ニューパスハンティング】23 水ヶ森林道・太良ヶ峠(山梨県)

◆私をとらえる魔物について  稲葉 尚さん、新田眞志

 

f:id:jcao:20180819201339j:plain480円 122頁

◆ 第55回全日本アマチュア自転車競技選手権大会 高田健司

◆第21回近畿ロードレース  リポート:高田健司

◆市川雅敏選手のスイス便り 

 

◆権兵衛街道を行く(長野県)  芥 秀夫 

サイドカー製作記  大和田茂

気になる風景 笑門  小上馬正和

谷島啓之選手のアメリカ便り

 

# バリエーションオーダー 一挙に7台   

f:id:jcao:20191214182449j:plain

・・ハァー、7台もですか、というような事をおどろきとともに私は言ったように思う。

 

 さらにまた、最も興味がわいた部分というのは、土屋氏は長年のサイクリング活動を通じて既に自転車作りの経験を十分に経たのちの一挙7台というところに、また別種の遊び心を感じたからに他ならない。・・

 

 

  

  

【どんな時代?】

 中森明菜

 1982年16歳時にシングル「スローモーション」でデビューし、同年2枚目のシングル「少女A」がヒット。

f:id:jcao:20191214183154p:plain


 翌1983年には、「セカンド・ラブ」、「禁区」などもヒット。1980年代のアイドルとしては松田聖子と2強を争った。

 

 以降も「北ウイング」、「飾りじゃないのよ涙は」など連続してシングル・ヒットし、1985年の「ミ・アモーレ」と1986年の「DESIRE 」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞した。

 

 『夜のヒットスタジオ』の司会をしていた芳村真理は当時、ヘアスタイルから服装に至るまで中森が自らコーディネートを行っていることを知り、番組内でそのセンスのよさを絶賛した。

     ウィキペディアより

 

 

 

  

◆第55回全日本アマチュア自転車競技選手権大会から

f:id:jcao:20190119165720j:plain

 

・・大門(宏)が引いてスピードアップし、高橋(松吉)がコントロールし、三浦(恭資)が組み直して行く。この時点で実は3対1の過酷な精神戦になっていたとも言える。

 

 後ろではNo.80森  幸春が押さえていると高橋は信じて疑わないし、三浦は森・高橋に恩返しするんだ。それは今日勝つしかない。そう念じていた。・・

 

 

 

◆権兵衛街道を行く(長野県)  芥 秀夫

・・さて、これから姥神峠越えである。国道を曲がり権兵衛街道に入る。だんだん道が細くなり、山道に変った。やがて乗れなくなり、押しとなる。九十九折れに差し掛かる頃になるといよいよ担ぎと相成る。

 

 ハーフーと息づかいがだんだん荒くなり、休息もだんだん多くなる。その内、タイヤの跡が一本、続いているのに気が付いた。誰かが先にいるのかも知れない。そう思うと、力が入ってきて、やがて峠に出た。・・

 (*゚▽゚)ノ  この記事をお読みになりたい方はこちら