◆PL法とはどんなものか ユーザーサイドから考える 山本秀男
◆乙見山(おとみやま)峠タンデム行(長野・新潟県境) 落合賢一・雅子
◆私とエルス 新田眞志、中堀 剛
◆夏はベルギーで・・・ ケルメス・風景のうつり香を懐かしむ 上阪卓郎
580円 90頁
◆伊吹山を廻る諸道(琵琶湖東岸 関ケ原付近) 山本進一
◆世紀末 軽量車 奇談 中堀 剛
◆首都高速湾岸線開通記念 ツール・ド・メックスウェイ
エッセイ風フォト紀行 西伊豆 写走派「風」
サイクルツーリストに役に立つかもしれないコラム 石丸英明
【クラブハウス】A&Nサイクルフレンド(福岡県北九州市)
# サイクリングの世界 山本貞夫(神奈川サイクリング協会理事長)
・・本格的にサイクリングを始めたのは十八才の時に仲間を募ってYCC(横浜サイクリングクラブ)を作った頃である。
この当時集まったメンバーで現在も一緒に走り続けている輪友が十人ほどいる。従ってグループランか単独ランかの質問に対しては即座にグループランと答える。・・
【どんな時代?】
松本人志
小中学校の同級生である浜田雅功と共に吉本総合芸能学院の1期生として入学し、当初から浜田とコンビを結成した。コンビ名は何度か変わったが、最終的にはダウンタウンとして舞台やテレビ番組に出演することになった。
1987年4月に開始した初の看板番組『4時ですよーだ』を皮切りに、翌年には深夜のコント番組『夢で逢えたら』で東京に進出した。
1993年から1995年にかけて、『週刊朝日』に連載していた自身のエッセイが『遺書』及び『松本』として単行本化され、それぞれ250万部、200万部を売り上げた。
「面白い奴とは自分ひとりの世界を持っている奴のことであり、実はネクラな奴が多い。」と論じ、。 その一方、明るい性格に関しては「明るい奴は社交的で楽しいが、笑いの内容が薄く飽きられやすい。」とも論じている。
ウィキペディアより
◆乙見山(おとみやま)峠タンデム行(長野・新潟県境) 落合賢一・雅子
・・物置同然の部屋を片付けだすと、奥から書籍が現れてきた「あっ、ニューサイだ」。整理しながら見ていると一冊の表紙が目に止まった。83年10月号紅葉の乙見山峠だ。
長野の峠に久しくいってない、目の覚めるような紅葉の峠道も三国峠以来お目にかかっていない。よし、来年の秋は紅葉を見に乙見峠へ行こうと心に決めたのだった。
悲しいかな40代に入ると、心に決めないとなかなかツーリングには出て行きにくいのだ。・・