◆記憶のくずかご -メモリアル・エッセイー 森 一久
◆ツール・ド・美ヶ原2006 初参戦記 数野 仁
◆TOKYOナイトサイクリング 永山貴生
800円 82頁
第24回内灘サイクルロードレース大会 石川県内灘町
【巻頭】フォト 関東高等学校自転車競技大会 / 内灘サイクルロードレース
◆京大2回生ツアーin丹後 西納岳史
◆山本和弘・河賀雄大・小渡健吾レースリポート
◆宮崎沙織 サイクルフィギュアの軌跡10
”2 Days Race in 木祖村”を終えてレース機材を考える 藤森信行、大石一夫
サイクリングライフと思い出のディレイラー 小上馬正和
長谷川弘の私と自転車 奥三河とその北部について
「美しき自転車ーサドルの高さについて考える」に寄せて 中堀 剛
私のスペシャルメイドサイクル スミトモ・チタニウム 鎌倉弘昌
道草随想 地主の神 小上馬正和
# 港サイクリングクラブ 五十有余年の歴史を振り返る 植原 郭
・・創立以来、少しの間でも港CCに籍を置いた人はおそらく1,000名以上になるはずだ。
現在は50年以上在籍している会員は私を含めて3名、40年以上が11名、30年以上が15名、20年以上が19名、10年以上が19名、10年未満が17名の合計84名が現有勢力である。・・
【どんな時代?】
亀田興毅
11歳の時に父・史郎からボクシングを教わるようになる。中学卒業後、ボクシングに専念するため高校には進学せず、2003年17歳の時にプロボクサーとなった。
2006年8月、ファン・ランダエタ(ベネズエラ)とのWBA世界ライトフライ級王座決定戦を行い、12回2-1の判定勝ちを収めて王座を獲得。
しかし、初回にダウンを喫し、終始苦戦した亀田が王座獲得をしたことは賛否両論を呼んだ。
同12月、ファン・ランダエタとの再戦が初防衛戦として行われた。亀田は今までのKO狙いからフットワークを重視した戦法に変え、12回判定(3-0)勝ちを収めて初防衛に成功、前回とは違い、バッシングなしの正真正銘の勝利を得た。
ウィキペディアより
◆木曽・飛騨・信濃三国をハシゴする 高尾雅之
・・道はずんずん高度を上げ、谷ははるか下界に沈んでいく。結構な勾配である。やがて峠らしき場所に着く。「んっ?」どう見ても野麦峠ではない。
後で聞いたところによると、この峠は通称「びっくり峠」という。誰しもが野麦峠と早合点するが、間違いだと知ってびっくりするからだそうだ。
ここからすさまじいダウンヒルをこなして野麦の集落に着く。ようやく飛騨川沿いの上りがはじまる。・・