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本誌著者諸君の自転車拝見(1985年1月号)S60

【ニューパスハンティング】4 富士山の大展望 鹿留林道、二十曲峠 

◆杉野 安のヨーロッパとび歩き 4 オランダ合宿打ち上げ    

◆フランス・アルプス紀行 3  鈴木 孝  

◆ディスクホイールの秘密を探る

 

f:id:jcao:20180810161904j:plain480円 130頁

                御坂峠から見る富士山  薛    雅春

◆山岳サイクリングからのノウハウ 5 雪  永松康雄

◆西上州 3 海瀬~十石峠~桧沢峠~木々岩峠~横川  糟谷武彦

◆’84オータム サイクル フェスティバル

 

濁川温泉への善意実る  ※募金の呼びかけに対して

【巻頭】フォト ニューサイクリング読者会

 

# 本誌著者諸君の自転車拝見                 

   小川正仁、糟谷武彦、鈴木 孝、小上馬正和、御子柴慶治、鈴木秀明、

   高田健司、井上重則、今野 義、山本進一、永松康雄、高峰 功、

   佐生 勉、鹿島 栄、窪田未玲

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・・自転車1台1台に愛称をつけています。「南牧」「上野」「中里」「佐久」「万場」私の主な活動地域の町村名です。各ヘッドチューブには、それぞれ町村の紋章を付けることにし、現在、輪友・伊藤真基雄氏の手によるエンブレムを順次追加しています。・・(糟谷武彦氏の文章)

 

 

 

【どんな時代?】

 日米貿易でジャパンバッシング

 1965年以後アメリカの対日貿易が恒常的に赤字になり、1972年繊維製品で日本は対米輸出自主規制を受け入れ、続いて1977年に鉄鋼・カラーテレビでもこれに続いたことによって一旦は収束した。

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 1980年代に入ると、今度は日本車が標的となり、1981年に日本政府と自動車業界は輸出自主規制を受け入れることとなった。

※写真はハンマーで日本車を壊す米自動車メーカーに勤務する労働者たち

 

 更に1985年にアメリカの対日貿易赤字が500億ドルに達したことをきっかけに、日本の投資・金融・サービス市場の閉鎖性が批判され、事実上日米間経済のほとんどの分野で摩擦が生じてジャパンバッシングが起きるようになった。

 

 1985年、日本の通貨安を問題視して円高を強いたプラザ合意後も日本の貿易黒字・経常黒字は減るどころか増えていった。

    ウィキペディアより

 

 

【ニューパスハンティング】4 富士山の大展望 鹿留林道、二十曲峠

・・眼下には忍野の平原が広がっていて、直線的な道、小さくたなびく焚火の煙、天然記念物のハリモミ純林、そしてその向こうに広大な樹海がつながっている。日本を象徴する富士をメインにした風景のはずなのに、 

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日本的とはほど遠いあまりに大陸的な風景だ。

 

 それまで走ってきた峠の北側が、一般的な日本の林道風景で、峠を境にガラリと変わったからよけいそう感じたのかもしれない。・・

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