◆須賀尾峠ごえ(群馬・長野県境) 石橋芳夫
◆サイクリスト手帳から見るイギリスのサイクリングとサイクリスト
◆セルキュ大いに語る ※ベルギーの自転車競技選手
230円 72頁
◆まとまらない話(四) 綿貫益弘
◆私と雨とツーリング 奥田茂雄
◆青春は猫の額に 風巻 錬
◆和田峠(東京都と神奈川県の県境)、冬の道志街道(神奈川県) 八嶋岳洋
# ミニサイクルのいろいろ
ミニサイクルを中心とした新しいタイプの自転車の登場
ミニサイクルのこと 小上馬正和
・・メーカーの狙いは、ヨーロッパの傾向をそのまま取り入れて、自動車時代の遊び道具といったものだった。ところがユーザーの考えはもっと地についた堅実なものであって、要するにより質のよい移動手段としての自転車であった。
このことを裏書きするように最近のショートホイールは、折りたたみを考えない20インチものが主力になりつつある。・・(小上馬正和)
【どんな時代?】
二十歳の原点
1971年に発行された高野悦子による日記で、1969年の立命館大学での学生生活を中心に書かれている。理想の自己像と現実の自分の姿とのギャップ、青年期特有の悩みや、生と死の間で揺れ動く心、鋭い感性によって書かれた自作の詩などが綴られている。
高野の自殺後、彼女の下宿先を訪れた遺族が、十数冊の大学ノートに書かれた日記を発見した。
日記は父親の手によりまとめられ、同人誌『那須文学』に掲載。後に新潮社より発売されベストセラーになった。
6月22日の日記に、「旅に出よう」で始まる詩が書かれている。運命を暗示するかのような象徴的な内容、高い完成度などから、作品中でも特に印象に残る静謐な一篇とされている。
ウィキペディアより
◆地蔵峠から角間峠(長野県) 春日照夫
・・五万分の一の地図、上田に前々から計画をたてていたコースがあった。それは輪行を使っての信州のとある高原、湯の丸高原の地蔵岳より角間峠を経て真田への山岳コースであった。晩秋の小諸駅に愛車ゆり号と降り立ったのは9時半近くであった。(中略)
この地蔵峠は、一番から百番までの石地蔵が立っている。新張が一番、峠が八十番、旧鹿沢が百番と百体もの地蔵様が、その昔旅行く人々の心のささえ、道しるべであったことを思うと実に安らぎを感ずる峠である。(中略)
※写真は33番の千手観音
いつしか道というより牧場地を歩いているのに気付いた。「まあいいや、峠の位置も解ったし牧場は緑、いや黄金でも歌いながら押し上げよう。
右前方の笹に一筋の細い道が見えるので心配ない。押し上げで大分汗をかく。鉄条網の柵伝いに押し上げていく。峠は、目の前だ。・・
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