◆私をとらえる魔物について 村上寛人さん、新田真志
【ニューパスハンティング】16 八溝山と幻の県道大子那須線(茨城県)
◆自転車の父 カール・ドライスの生涯と仕事 ミヒアエル・ラウク
480円 128頁
※表紙の ’85 は ’86 の誤り
◆アゴスティーノ・ポラート(カンパニョーロ社)
◆’85全日本実業団チーム びわ湖大会 リポート 高田健司
# 新春エッセイ 旅立ち かうんとだうん
山本進一、鈴木茂夫、谷口一彦、樋口芳文、餅田次男、石田 靖、奥田茂雄
鈴木秀明、加藤安弘、大森康夫、御子柴慶治、薛 雅春 、小上馬正和
・・「まずですね。デイパックに着替えを入れます。輪行袋も入れてきます。チューブラーを3本。地図も道路地図でいいから持って行きます。あとはお金を少し多めに持って」
「西に行くか東にいくか大体決めまして、とにかく走って行きます。するとどこかに着きます。岐れ道では気に入った方に進みましょう。日が暮れたら適当に泊まります。」
「坂になったら押せばいいです。いつかは峠に着きます。帰りは自信がなければ輪行すれば済んじゃいます。とにかく行きゃあ何とかなりますよ」・・奥田茂雄氏
【どんな時代?】
坂本 九
1941年生まれ。妻は女優の柏木由紀子。「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。
また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など活動は多岐に渡り活動していたが、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故により帰らぬ人となった。
坂本は本来、国内移動には必ず全日空 (ANA) を使っていたが、当日は全日空便が満席で、仕方なく確保したのが日本航空123便であった。
坂本は母の実家の笠間稲荷を信仰していて、この笠間稲荷神社で結婚式を挙げる。そして、日航機事故事故の時には、笠間稲荷のペンダントが身元を特定する決め手となった。
ウィキペディアより
◆プロトン内部! 鈴木光広氏(ブリヂストンサイクル)
・・ その中でも、会心の試合は全日本ロード(85年7月、岩手県紫波町)だったという。
「何回もアタックがあって、集団に飲み込まれるというのが、ずっと続きますよね。 でもね。自分の場合はね、必ずチャンスというのは、レースに1回は必ず”ここだ!”っていうのがあるって、思っているからね。
そこをジッと狙ってるんですよ。ガマンガマンで走ってるんですよ。(中略)
例えば、前に1人逃げててね、強い選手がね、その時”今だ!”と思って、ポーンと行って、その時にその選手に追い付いて、その選手と一緒に逃げ切っちゃうとか。」・・
【ニューパスハンティング】16 八溝山と幻の県道大子那須線
・・このあたり、路傍に「県道大子那須線は通り抜けできません」と書かれた看板がいくつか建っていた。このまま直進すると戸中峠。坂本の手前で右折するのだが、バス停坂本を過ぎてからすぐ橋で川を渡る道へと曲がる。
こちらの道も実にのどかな感じだ。冬の一日このような山里をポタリングして、どこかでお茶を沸かして帰ってくるだけでも充分楽しめそうだ。・・
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