ニューサイクリング 図書館

ランドナー / 輪行 / 峠 / 地道 / オーダーメイド

草軽電鉄を訪ねて(1992年8月号)H4

◆’92全日本選手権レポート  高田健司  

◆スポーツ サイクリング バイブル 8 遊び方のバリエーション  山本秀男

◆最速マシンへの挑戦 プロトタイプファニー  今野 義

◆NC道案内 35 北海道 吉田牧場、、橋本牧場、社台ファーム牧場  中堀 剛

 

f:id:jcao:20180908191653j:plain550円 110頁

◆メカニック イン USA 1本150万円のシートチューブ  山口弘一 

◆大文字山顛末記(京都府) 三宅正規

◆あなたのシフトレバー、まだダウンチューブについているのですか?  上阪卓郎

◆戸田裕子のホップ アップ レディースノート 六笠ひとみさん

 

◆シューズのチューンナップ  藤森信行

◆情けない話 23 ランドヘイへの花火・Ⅴ  御子柴慶治

私をとらえる魔物について 戸栗忠司、新田眞志  

第16回ニューサイクリングラリー

 

My  Wayside 磯清水  小上馬正和

【クラブハウス】まつかさクラブ(東京都台東区)

オレゴン州のサイクリング 2000名の参加

□ 中野浩一 17年間の競技者生活に終止符をうち引退を発表 

 

# 草軽電鉄を訪ねて  武中裕二

  草津温泉〜万座温泉〜嬬恋〜北軽井沢〜小瀬温泉〜軽井沢

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・・今から約30年前、軽井沢から北へ5万図2枚にわたり、50㎞という長い高原列車が走っていた。

 

 今考えてみてもワクワクする様な、ほんとうにすごい山の中を走っていたのである。・・

 

 

 

 

【どんな時代?】

 中野浩一 引退

 高校卒業時に競輪選手だった父・光仁から、一度トラックレーサーに乗ってみないかと奬められ、正味3ヶ月程度の練習の末、日本競輪学校試験に合格した。 

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 1975年に久留米競輪場でデビューし、18戦無敗の記録を達成した。1980年には日本のプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円突破を達成した。

 

 一方、1976年に初めて世界自転車選手権に参戦し、プロ・スクラッチ(現 スプリント)で4位に入った。翌1977年日本人選手として初めて同大会の優勝者となった。それ以降は毎年この種目で優勝し続け、1986年までに10連覇を達成。

 

 2006年春の紫綬褒章を競輪選手として初めて受章。競輪選手としての現役時代の活躍とともに、世界選手権プロスプリント10連覇が高く評価された。

    ウィキペディアより

 

 

 

 

□  中野浩一 17年間の競技者生活に終止符をうち引退を発表

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 ・・「こうして沢山の記者の方や、カメラマンの方々が集まって下さった事は大変うれしい事ですが、ぼくが世界選手権を初めて獲ったベネズエラの時は、確か競輪関係の方々と記者の方4人程だったと思います。

 

 こうして今、私の引退発表にこれだけ沢山の方々にお集まりいただき、そんな事を思い出しました。」中野談・・