◆’92全日本選手権レポート 高田健司
◆スポーツ サイクリング バイブル 8 遊び方のバリエーション 山本秀男
◆最速マシンへの挑戦 プロトタイプファニー 今野 義
◆NC道案内 35 北海道 吉田牧場、、橋本牧場、社台ファーム牧場 中堀 剛
550円 110頁
◆メカニック イン USA 1本150万円のシートチューブ 山口弘一
◆大文字山顛末記(京都府) 三宅正規
◆あなたのシフトレバー、まだダウンチューブについているのですか? 上阪卓郎
◆戸田裕子のホップ アップ レディースノート 六笠ひとみさん
◆シューズのチューンナップ 藤森信行
◆情けない話 23 ランドヘイへの花火・Ⅴ 御子柴慶治
私をとらえる魔物について 戸栗忠司、新田眞志
第16回ニューサイクリングラリー
My Wayside 磯清水 小上馬正和
【クラブハウス】まつかさクラブ(東京都台東区)
オレゴン州のサイクリング 2000名の参加
# 草軽電鉄を訪ねて 武中裕二
草津温泉〜万座温泉〜嬬恋〜北軽井沢〜小瀬温泉〜軽井沢
・・今から約30年前、軽井沢から北へ5万図2枚にわたり、50㎞という長い高原列車が走っていた。
今考えてみてもワクワクする様な、ほんとうにすごい山の中を走っていたのである。・・
【どんな時代?】
中野浩一 引退
高校卒業時に競輪選手だった父・光仁から、一度トラックレーサーに乗ってみないかと奬められ、正味3ヶ月程度の練習の末、日本競輪学校試験に合格した。
1975年に久留米競輪場でデビューし、18戦無敗の記録を達成した。1980年には日本のプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円突破を達成した。
一方、1976年に初めて世界自転車選手権に参戦し、プロ・スクラッチ(現 スプリント)で4位に入った。翌1977年日本人選手として初めて同大会の優勝者となった。それ以降は毎年この種目で優勝し続け、1986年までに10連覇を達成。
2006年春の紫綬褒章を競輪選手として初めて受章。競輪選手としての現役時代の活躍とともに、世界選手権プロスプリント10連覇が高く評価された。
ウィキペディアより
□ 中野浩一 17年間の競技者生活に終止符をうち引退を発表
・・「こうして沢山の記者の方や、カメラマンの方々が集まって下さった事は大変うれしい事ですが、ぼくが世界選手権を初めて獲ったベネズエラの時は、確か競輪関係の方々と記者の方4人程だったと思います。
こうして今、私の引退発表にこれだけ沢山の方々にお集まりいただき、そんな事を思い出しました。」中野談・・