◆パリ~ブレスト~パリ(PBP)のこと ミッシェル・ドロール
◆私の自転車2 ー乗る事と作る事を通して見た私的自転車論ー 今井 義
◆フォト 木賊峠(とくさ 奥秩父) / 晩秋の大和路の日溜まりから 高田健司
◆国東逍遙 後編 御子柴慶治
380円 132頁
◆世界選手権への長い道 第7回 加藤 一
◆世界選手権ロードレース(1) ピエール・シャニー
◆用語あれこれ -辞典と事典ー 今井彬彦
◆新版 自転車用語集 4 ハンドル・ブレーキ
サイクリングと写真 ー何を伝えるために撮るのかー 村上秋彦
奥瀞(三重県) 堀田一郎
ポケットカメラのこと② 原 明吉
礼文紀行(北海道) 栗原秀一
# ’78世界選手権レポート
■”寒い夏”を吹き飛ばす”熱い戦い”の12日間 鈴木泰夫
・・日本の競輪がデモンストレーションながらも、初めて世界選手権という晴れの舞台に登場した。(中略)
スタートして打鐘までの5周回半の整然とした走り方が何を意味するのか、理解に苦しむといった感じでピストに目をやっていた。・・
■世界選手権レポート 私が会った九人の女性 今井千尋
【どんな時代?】
サラ金地獄
サラリーマン金融は昭和38年に大阪で始まった。給料明細書、健康保険証、運転免許書などを見せれば無担保、無保証で簡単に借りることができた。
サラ金は都道府県知事への届出だけで営業ができたため、ピーク時の業者数は全国のソバ屋数と同じ4万社になった。暴力団も参入し、駅前にはサラ金の看板が乱立した。
当時のサラ金は法的規制がなく無法地帯だった。そしてその裏には、人権を無視した過酷な取り立てがあった。業者の取り立てのすごさは常識を超えていた。
昭和54年の警察白書には、苛酷な取り立てを苦に半年で180人が自殺、2203人が家出、12人が売春を強要されたと書かれている。そして「サラ金地獄」という言葉が流行語となった。
◆パリ~ブレスト~パリ(PBP)のこと ミッシェル・ドロール
・・パリ~ブレスト~パリは、世界でも指折りの自転車レースの一つに数えられていた。(中略)だが、パリ~ブレスト~パリは別の形態、即ちシクロツーリズムとしては今も生きている。(中略)
多くのシクロツーリストがプロと同じコースを辿るこのランドネに参加している。但し、常にランドヌール方式とオダックス方式があって、いずれかを選ぶようになっている。・・
・・オダックス方式は、グループが一団となって、キャプテンに誘導されて平均時速22.5キロで走る。(中略)グループはスイスの列車のような正確さで行動する。休憩のため20分間休む時、キャプテンはストップウォッチを押す。・・
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