◆AITラリーと創立100周年を迎えたCTC / AITラリーに参加して
◆奥多野逍遙(群馬・長野県) 小海~ぶどう峠~本谷林道~浜平 林 悦生
◆世界選手権への長い道 第6回 加藤 一
380円 132頁
世界選手権アマ・ビテス決勝 トカシュとラッシュ(右)のスタンディングスティル
◆大阪ショー後のフランス自転車界 ミッシェル・ドロール
◆国東逍遙 前編 御子柴慶治
◆フォト 乗鞍高原 原 明吉
用語あれこれ 3 言葉の言い回し 今井彬彦
新版 自転車用語集 3 トランスミッション
若狭 滝壺で酒盛りする山女 堀田一郎
ギア・テーブルの活用を見直してみては
ポケットカメラのこと 原 明吉
#【巻頭グラフ】 ’78世界選手権速報
世界選手権二連覇(プロビテス)を飾った中野浩一
・・中野浩一とベルグマン(西ドイツ)の決勝。1本目中野、2本目ベルグマンがとった後、3本目文字通りの決勝はあっさりと勝負がついた。ゴール前「相手があきらめて力を抜いたのが分かった」と中野。
・・そのレースぶりには余裕すら感じられた。今はフランスの国家コーチとなった、ビテスの記録男 ダニエル・モレロンから、「世界一速い男」の折り紙をつけられる。
【どんな時代?】
南沙織 引退
琉球放送にヒデとロザンナがゲスト出演した際、そのマネージャーが持ち帰った写真に偶々南が載っており、更にそれが偶然ソニー関係者の目に留まったことがデビューにつながった。
デビュー曲「17才」は、約54万枚の大ヒットとなり、 1971年暮れの第13回日本レコード大賞で新人賞を受賞し、同年のNHK紅白歌合戦にも初出場。
また、同時期にデビューした小柳ルミ子・天地真理らと共に "新三人娘" と括られることもあり、当時のアイドルの代表格であった。
ところが、1978年7月、当時在学中だった上智大学での学業に専念するため、歌手活動にピリオドを打つ事を突如発表する。翌年、引退後に交際がスタートしたという写真家の篠山紀信と結婚。
ウィキペディアより
◆AITラリーと創立100周年を迎えたCTC
・・出発の時も何とはなしに集まって、何とはなしに走り始めるといった調子で、マイクで叫ぶわけでもなく、大きな声で集合をかけることもなく、いいかげん集まったところで、さっと出るという風だった。
走りだすと今度は、自分のペースでどんどん走るといったことで、日本の団体サイクリングになれているサイクリストにはずい分勝手が違う。・・
※AIT:国際的な旅行団体。自転車に大きなウエイトが置かれている。
CTC:イギリスにあるサイクリストツーリングクラブ。
◆新連載 私の自転車 今野 義
・・ニューサイクリングの前身のサイクル誌上でかなり長い間、「私の自転車」という欄があり丁度、自転車に乗り始めの頃の私達は大変な興味をもって楽しみにしていた事を今でも憶えています。
そこに登場してくるサイクリストの愛車の数々は、当時の私達の高嶺の花であると同時に、自転車に対する知識の源泉であった様な気がします。・・
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