◆奥加賀・奥越・奥美濃を行く <上> 今井彬彦
◆クランク長はこれでいいのか? スモールライダーとマシン 今野 仁
【旧道を探る】14 大平街道(中央アルプス)
【乗る人 見る人 自転車道楽】1 下る 下降する 山岳マシン 佐藤千尋さん
480円 130頁
軽井沢林道 薛 雅春
◆冬の夜叉神峠と広河原 荒川雄行
【この人・こんな話】8 ツーリスト/フォトグラファー 北畠 昭さん
◆スモールライダーのスモールマシン
◆隠岐之島 後編 薛 雅春
答えられますか? 自転車整備士検定試験問題から
フォト 五僧峠(岐阜志賀県境) 小川正仁
# ’83 スイス 世界選手権
■ エリコン競技場 激戦譜 杉野 安
・・(アマ・スプリントで)今まで日本選手が、準決まで来た例はない。長や斉藤が2次予選まで進出して敗れたと云う歴史はあるが、準決まで、2名も進出したという例は過去にない。・・
■世界選ハイライト 加藤 一
・・ナカノという選手が日本に生まれたことは、考えようによっては実に不思議なことだ。(中略)日本には彼のクラスのチャンピョンを指導できるコーチなどはいるはずもないのだ。
(中略)ナカノには、まわりの友人の友情、そして家庭の愛情以外に何もなかったといってもいいすぎではないだろう。これは実に異常なことだし、ある意味で彼が天才だったということの証明なのだろう。・・
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※写真は余裕の7連勝を飾った中野を囲んで、女子の阿部、今野両選手
【どんな時代?】
寺山修司 死去
寺山修司は、18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。その後、「俳句」や「短歌」の定型の枠を乗り超えるように詩作を開始。歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げました。
30歳を前後する1965年から1968年頃にかけては、世田谷区下馬に移り住み、演劇実験室「天井棧敷」を設立します。
その後は、10代から20代にかけての創作活動の基盤であった俳句や短歌から抜け出し、長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルへと移行していきました。
1983年、肝硬変を発症し入院。その後腹膜炎を併発し、5月4日に敗血症のため死去。47歳没。葬儀委員長は谷川俊太郎。
【この人・こんな話】8 ツーリスト/フォトグラファー 北畠 昭さん
・・かって、「旅とサイクリスト」という雑誌が大阪で発行されていた。
なかなかユニークな内容で、主として関西を中心としたツーリングの記事、同じくメカニズムの文章は、本誌と双璧をなしていたし、当時は自転車の社会的関心が今程で無かった時代で、自転車の雑誌は二つしかなかった。
今回インタビューを試みたのは、その「旅とサイクリスト」誌の、重要な誌面スタッフとして活躍した北畠さんになった。