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’96 スイス世界選手権 (1996年12月号)H8

◆MIGHTY-DURO  24時間レース レポート  石丸英明

◆ルート・エヌ実走レポート 鳥取ー山口  山下真司 

◆ぶらっと若狭へ 原発現物に  山本進一             

◆ツーリングレポート 美濃・馬越峠行(中村寿志)、新潟・角田山麓(小熊一博)

 

f:id:jcao:20180921084640j:plain580円 74頁

               雲ヶ畑より魚谷峠(京都府) 森 浩史

◆黄昏閑話 坂  今井彬彦

◆こだわりの一台 Pegasus Randonneuse   川名久雄さん 

 

【クラブハウス】シャンゼリゼ・オシガモ オシガモ・ピストクラブ

        オシガモ・ラフ(千葉県松戸市)

【巻頭】フォト ポリージャパン’96  森 浩史

 

# ’96 スイス世界選手権  市川雅敏   

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・・日本には要するに(UCI)ポイントが足りないのである。

 

 プロの今中が50ポイント、スイスで走っている中島が同じく50ポイント、シマノの松井が日本人の中では一番点を持っていて60ポイントで、その合計が214ポイントとなっている。(ちなみに1位はイタリアで8700点台。)・・

 

 

 

 

 

【どんな時代?】

 藤子不二雄

 「オバケのQ太郎」で、一躍、「藤子不二雄」として有名になった、藤本弘さんと安孫子素雄さんのお二人は、その後「ドラえもん」で大ブレイクを果たすのですが、1987年、突然、お二人は「コンビ解消」を発表されます。

 

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 コンビ解消の前年に体調を崩した藤本さんが、もし自分が死んだら「ドラえもん」の巨額の著作権料を巡って家族同士で揉めるのではないかと心配したためと言われている。

 

 自身の死を感じ、家族のしがらみでコンビを解消したとはいえ、それまで、36年もの間、圧倒的な「ドラえもん」の収入を折半にされてきた藤本さんの無欲さは凄すぎるの一言。

 

 そして、1996年に藤本さんが亡くなった後、藤子スタジオの運営を巡って両家族がトラブルになり、コンビ解消した藤本さんの判断は正しかったのでした。

      こいもうさぎのブログより  

 

 

 

 

 

◆ルート・エヌ実走レポート 鳥取ー山口  山下真司

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・・やがてつづら折れの激坂になり本当にこのルートでいいのか不安になる。ギアをフロント・イン、リアアウトに放り込む。

 

 もしこんな道にロードで来ていたらもう断念していただろう。MTBで来て良かったと思う。まだ峠に出ない。とうとう今まで7~8年のツーリング人生の中で初めての押し歩きが出てしまった。本当につらい。・・