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多段式自転車の時代(1963年10月第7号)S38

◆カタログ紹介 カンパニョロ(イタリー) 

◆3年かかって一周した房総半島(2) 藤本 繁

◆第5回国立公園大会参加記<宮崎・えびの高原> 和田文平

◆第1回全国スポーツ少年大会

 

f:id:jcao:20200926205820p:plain76頁 150円 碓井峠新ドライブウエー

 

◆ツーリングエッセイ カメラ   伊藤幸雄

◆自転車の切手  広瀬精市

◆三浦半島一周と油壷ヨッテル訪問記  阿部哲也

 

◆志賀高原・渋峠・白根ツーリング  小鷹一男

◆近づくオリンピックのために(2) 高橋長敏

 

#多段式自転車の時代

アルプス・ロードキング/エバレスト・チャンピオン/ケンコー・レコードエース/ゴールデンゼファー/サンノーエミネンザ/フジ・ツアーデラックス/ホルクス・R/マルイシ・ベルファスト/ビーエス・スーパースピード/ワンダーフォーゲルロードマン

 

・・このように日本の自転車、とくにスポーツ車は、初歩の段階から車種別に分化した方向に動き、大きく前進しましたが、現状ではこの八段、十段という機能を持った自転車を完全に使いこなすにはまだ一般の知識もそこまではあまり行ってません

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し、作る方の側走る方の側、乗る方の側とも、これを常識として受け入れる状態ではありません。

 

  このような多段自転車は、相当発達している国でもやや特殊なもので、本格的レース用、高級旅行用などには多段は常識的なものですが、一般は勿論三段を主にした、四段程度が圧倒的に多いのです。・・   ※写真はアルプスロードキング

 

 

 

【どんな時代?】

 力道山刺殺される。

 力道山は日本統治時代の朝鮮で、朝鮮人の両親の元に生まれる。 初めは大相撲二所ノ関部屋に入門し、1940年初土俵を踏み関脇まで昇進したが、1950年突然廃業。

f:id:jcao:20201106180346p:plain f:id:jcao:20201106180430p:plain街頭テレビに群がる人々


 1952年、ハワイで日系人レスラー沖識名に猛特訓を受け、翌年帰国して日本プロレスを設立。シャープ兄弟を招聘して行った興行は、まさにテレビ放送が始まった時でもあり、全国民の支持を得て大ブームとなる。

 

 力道山はルー・テーズやパット・オコーナーのようなストロングタイプともジェス・オルテガやフレッド・ブラッシーのような悪役・怪物タイプとも名勝負を残しているが、後者の方が手が合ったようである。

 

 1963年12月、赤坂のナイトクラブで暴力団員と喧嘩になり、ナイフで腹部を刺され、それが原因で死去した。39歳だった。

      ウィキペディアより

 

 

 

 

◆カタログ紹介 カンパニョロ(イタリー)

・・いまさら云うまでもなく、このカンパニョロは、現在では世界最高の製品とされている。とくにこの社のディレイラーはいつも時代をリードして、目下全盛のパンタグラフタイプのものは、この社が作り出した画期的なものである。

 

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 その前の時代には、サンプレックスやユーレーなど、ほとんどがスライドシャフト式を採用していたが、このパンタタイプが出て、その作動の良さや機構上の優秀さが認められるとともに、各社こぞってこのタイプのものの生産に乗り出した。・・

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※写真はリアディレイラーとその分解写真