◆シニョール・キヨの恩返し 本当にイタリアらしい自転車とは
◆コリドーレ シュナのイタリア再訪記 1 前菜としてブレーメン・・ 砂田弓弦
【ニューパスハンティング】43 越前西部2号林道
500円 114頁
◆杉野 安の舌万歩計から 19 アンティークしたい
◆食べた見たinタイワン 井上重則(自転車技術研究所)
◆フォト パナソニックバイシクルカップ
ニューパスハンティング実走レポート 南葉林道
気になる風景 歴史とは 小上馬正和
【巻頭】フォト チャレンジロード ゴールスプリント 高橋松吉
【巻頭】フォト 橋本聖子の挑戦開始
# ’88びわ湖国際サイクルロードレース 高田健司
・・そして、ラスト一周に入った。山田隆博の脳裏に<一人差せば良い>という図式が浮かんだ。それは3位入賞を意味し、届けば<優勝>ということになる。
しかし、それは”勝負師”としては逆であった。勝者となりうるためにあえて<気持ちだけでも先行アタック>して欲しかった。・・
・・「最後、脚つっちゃってねー。1枚ギア重すぎました。気負いすぎですね。1人差せば、3位だったのになあー。みんな(ボスコ)に後、押さえてもらったに、面目ないです。」・・(4位の山田隆博選手)
【どんな時代?】
人生いろいろ
1987年(昭和62年)に島倉千代子が発表したシングルで、自身最大のヒット・代表曲である。
楽曲が話題になり始めたのは、1987年の「第20回日本作詩大賞」受賞がきっかけで、さらにはフジテレビ『オレたちひょうきん族』で、山田邦子が島倉のものまねをしながら歌ったことで人気はさらに拡大した。
またコロッケなども本曲を披露していた。「100万枚記念パーティー」では、山田とコロッケが招待され、島倉は「お二人のお陰で、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり光栄です」と2人を賞賛した。
1988年には「日本レコード大賞」の金賞・最優秀歌唱賞を受賞する。累計売上は130万枚に達した。
ウィキペディアより
◆私をとらえる魔物について 坂田 衛(消防士)、新田眞志
・・カールトンは家の近くで見つけたんですヨ古いお店でネ、何か有るなっていう においというか、あれは引力みたいなものでしょうネ、見つけた時は感動しましたネ、上の方に鎮座しましてネ、で当時学生ですから、お金が無いでしょう、
通いましたヨ3ヵ月、最初の時は親父が絶対売らないっていうわけですヨ、それで通いまして、また来たか、なんて顔されて、う~ん見るだけでいいですなんてやりながら。
カールトンは部屋の御神体ですからネ(笑)、うちの場合は魔物じゃなくて神さまですヨ。・・
◆みちのく物見遊山の旅 秋田・青森遊覧記 山本進一 (全8頁)
・・門前まで海沿いのまったく平坦だった道は、ここから急登となり、海の旅ならではの登り下りに苦しめられることになる。
しかし海道の坂では絶対に焦ってはならない。海の旅には峠越えのような一気勝負は通用しないから、私はそろそろおいでなすったと、ニヤリとしてギアを落とす。
ここより二つの有料道路を結ぶ男鹿半島西海岸は、海抜百から二百のアップダウンの連続である。苦しい。苦しいがしかし、奇岩、奇勝を眼下に、あとは見渡すかぎりの日本海の水平線である。・・
※写真は入道崎(男鹿)
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