◆まものたち 表 康裕、渡辺捷治、新田眞志
◆フランス国境、そしてツール・ド・フランス 上阪卓郎
◆NC道案内 50 岡三淵・徳前峠(広島・島根県) 小土井健一郎
550円 98頁
【巻頭】フォト タイオガ・マウンテンデューロ ハラムラ24時間
◆ホイールビジネスにトライする合場正剛さん
◆情けない話 39 初霜雑記 御子柴慶治
◆「雨のち晴れ、そして転倒」地蔵峠、権兵衛峠・・ 山本國雄
第24回クラブラリー 由比ヶ浜
サイクルツーリストに役に立つかもしれないコラム 石丸英明
マビックディレイラー 新しい作動システム
NC-ade station ギア配列の隠された落とし穴
【クラブハウス】タカオカ9-α(ナイン アルファ 富山県高岡市)
# 第1回ケルン国際自転車ショー 前田良裕
・・ビアンキのマネージャーは「(中略)今年はATB50%、ロード10%、トレッキング30%、その他10%。
来年はATBが少々減って40%、ロード15%、トレッキング35%、その他10%というところ。中心は、まだATBだと思います。」と回答をしてくれました。
ATBの開発はアメリカの自転車産業に復活の機会をもたらしました。(中略)「ストップ・ザ・ATB」がドイツの自転車関係者の偽らざる気持ちでありましょう。ポストATBとして登場したドイツのトレッキング・サイクルが今後どのような商品造りをしてATBに挑戦していくのか静かに見守りたいところです。・・
【どんな時代?】
逸見政孝 死去
「逸見さんは髪は七三分け、メガネにスーツの真面目な風貌のアナウンサーでした。ところが『夕やけニャンニャン』でのとんねるずとのトークがウケはじめ、逸見さんの見た目としゃべりのギャップが、バラエティーには欠かせない存在になりました」(当時を知るフジテレビ局員)
タモリ、ビートたけし、明石家さんまの特番の司会は、いつも逸見さんが担当しクセの強い3人を相手に堂々たるMCぶりを発揮。
そんな人気絶頂期のさなか、逸見さんは緊急会見を行う。「私が今、侵されている病気の名前、病名はがんです」
13時間にも及ぶ大手術を受けるも、結果的に根治することはできず、約3か月後の1993年12月25日に48歳という若さで他界した。最期の言葉は朦朧(もうろう)とする意識の中で息子の太郎に言った「三番が正解です」だったといわれている。
msnニュースより
◆’93千代川耐久サイクルin筑波 長山 雅夫
・・今回の大会は、千代川村サイクリスト協会の主催であり、大企業がほとんどからんでいない。正に村おこし的な色彩が強い、ほほえましいものだった。(中略)
科学の粋を集めた〇十マンのマシンと、白ヘル、トレパン、ママチャリの中学生。
そんな雑多な参加者の入り混じる妙な風景を見てしまった。秋の太陽が大きく傾く頃、こじんまりとした開会式が行われた。・・