ニューサイクリング 図書館

ランドナー / 輪行 / 峠 / 地道 / オーダーメイド

故 今井彬彦氏を偲ぶ(2001年8月号)H13

◆私のスペシャルメイド アレックス・サンジェ・スポルティーフ  柴家弘明

◆ サイクル ガイド 4 ATTA・ミニベロ、ジャイアント・ハーフウェイ他

◆カナダ公式ブルベ参戦記  井手マヤ 

◆ワンデーツーリング 関東山岳域一周の達成(最終回)  江田和彦

 

f:id:jcao:20180930200157j:plain700円 86頁

【巻頭】ショップ探訪 ワイズ・バイク・アカデミー(東京都港区)

◆ミニチャリのココがスゴイ・・・!?  的場一起

◆私の通勤車  ワンダーフォーゲルフレーム  山本孝明

 

能登半島 親爺達や婆さん達と話込んだ私の旅 最終回 前田良祐 

今月の新作自転車 ヒロセ・ランドナー / 東洋アラビア・スーパーデラックス 

 

#     故 今井彬彦編集顧問を偲ぶ  

   高橋長敏、山根徳太郎、太宰茂秀、小上馬正和、原 明吉、梶原利夫、

   渡部裕雄、植原 郭、中堀 剛、長谷川弘、植松松次郎

 

故今井彬彦(いまい もりひこ)氏

f:id:jcao:20190207063248j:plain

去る6月5日永眠。享年85歳。「サイクル」「ニューサイクリング」誌の編集長を 半世紀近く務める。

 

・・TCA(東京サイクリング協会)理事として鳥山、森澄、藤田、北川、今井、大曾根、市川の諸氏は発足当初から活躍された。今井君は頑固な処があり損得抜きで努力されたが、それが彼の良い処で、支えてきた夫人の偉さに敬服している。・・(高橋長敏氏の文章)

 

f:id:jcao:20191002032530j:plain


・・昭和38年春、八重洲でばったり出会った時「植原君、今度こんな本ができたよ」と嬉しそうに「ニューサイクリング創刊号」を一冊くださった。

 

 それからほどなく、今井彬彦さんが我家を尋ねてこられて、「植原君、ニューサイクリングを手伝ってくれないか?」と言われた時には、少々驚いた。・・(植原 郭氏の文章)

 

 

 

 

 

 

【どんな時代?】

 ハンセン病訴訟で原告勝訴

 日本では、患者の隔離や断種を規定した「らい予防法」が長らく患者の自由や尊厳を奪い、差別や偏見を作り出してきた。治療法が確立された後も、この法律は放置され、患者を苦しめた。

f:id:jcao:20200211172055p:plain

 

 彼らは国に対し賠償を求めて立ち上がり、2001年、熊本地裁で「らい予防法」の違憲性を認める判決が下された。
 

 政府の大勢は控訴に傾いていたが、坂口力厚労大臣は医師であり専門的見地からこの問題を考えることができ、坂口は控訴するなら大臣を辞任すると表明。控訴期限も迫る中、小泉首相は原告団と面談し、「控訴断念」を決めた。

 

 なお、これら一連の展開の中で、やはり原告団を連れて坂口や小泉に引き合わせた野中広務の動きが大きいことは忘れてならない。

    日経ビジネスより

 

 

 

   

 

 

◆カナダ公式ブルベ参戦記  井手マヤ

・・7年前に私たちがブルべ・ジャポン実行委員会を立ち上げ、ルートエヌを企画したのは、そもそも今井彬彦前編集長の「石丸君、日本でブルべやろうよ」から始まったの

だ。

f:id:jcao:20200729001529j:plain


 ハード、ソフトを問わず、フランスにこだわっていらした前編集長は、ヨーロッパであれほど盛んに行われているブルべを、日本にも持ってきたかったに違いない。

 

 黄金色の稲穂の農村を疾走し、農協のおじさんか誰かにブルべカードにサインをしてもらう。そんな絵を脳裏に描いていらしたに違いない。・・(ブルべ・ジャポン実行員会 加藤裕子 付帯記事より)    

    ※写真は本文記事より