◆ インドネシア漫談 -その生活と風景と自転車とー 山田耕作
◆日本最後の秘境「知床」日帰りプラン 和田真宏
◆南三陸独行 仙台~気仙沼~釜石~宮古~盛岡 梅本 真
◆ ’70ツールのメカニズム ール・シクルよりー
230円 68頁
◆スポーツ車の調整と修理と手入れのはなし ホイール4 今井千束
鶴峠(奥多摩)を越える 八嶋岳洋
伊勢路の二つの峠 -藤坂峠・能見峠ー 奥田茂雄
まとまらない話(二) 綿貫益弘
道志 小上馬正和
女一人の日本一周ツーリング 滝田敏江さん 千葉県の自宅をスタート ※半頁
【巻頭】フォト ヨーロッパのレース
# サイクリングクラブのあり方と運営 ー港CCの場合ー 会長 植原 郭氏
・・MCCがここまで続いてきた直接の原因はクラブ行事偏重だという批判を受けながらも創立当時から20年間にわたって毎月2回のランと1回のミーティングを欠かさず実施し続けたバイタリティーにあると思っている。・・
・・現在、MCCの役員総数は31名(内訳 略)である。80数名の会員中31名の役員であるから約4割の会員が何らかの仕事を分担していることになる。・・
【どんな時代?】
三島由紀夫が割腹自殺
1970年11月25日に、 三島由紀夫と民兵組織「楯の会」のメンバー5名が自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪問し、益田兼利総監を拘束。三島がバルコニーで自衛官に演説。
『おまえら、聞け。今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。』
自衛官らは、「気狂い」などと三島に罵声を浴びせた。予想を越えた怒号の激しさやヘリコプターの騒音で、演説はわずか10分ほどで切り上げられた。
演説を終えた三島は、最後に森田と共に皇居に向って、〈天皇陛下万歳!〉を三唱し、その後総監室で二人は割腹自殺した。
ウィキペディアより
◆インドネシア漫談 -その生活と風景と自転車とー 山田耕作
・・バリックパパン、それはカリマンタン(ボルネオ)東海岸に位する石油の町である。赤道直下というのに、意外と涼しい。年間を通じて26度から29度で、殆ど一定、丁度9月上旬の気候だ。町には周回道路があり、一周18キロ、ロードレースもこの周回コースで行われることが多い。
こんなバリックパパンにも、サイクリングクラブがあった。(中略)彼らの自転車こそ、種々雑多の組合せで、実用車用のゴムペダルにカンパレコードの変速機がついていたり、無茶苦茶、日本製サンツアーの変速機もあった。
私も彼らの自転車に試乗した。重い。・・
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