◆秋葉街道(長野県) 伊那駅~分杭峠~鹿塩鉱泉~地蔵峠~青崩峠 橋本二三次
◆輪行を目的とした自転車の製作手記 6 最終回・試乗 阿久津勇(千葉大CC)
◆アフリカ自転車旅行レポート スワヒリ圏にて2 中島正満
◆シクリズムよもやまばなし ギア段数とディレイラーの活用について 小松崎均
300円 86頁
カーサイクリングれぽーと 風巻 錬
◆恐かったナイトラン ー高野・陣ヶ峰山岳ランー(奈良和歌山) 年木久幸
◆私が手加工した散歩用軽量車 春日照夫
# さいくりんぐえっせい74’
山根徳太郎、鈴木 徹、小上馬正和、梓はじめ、原 明吉、中野一正、
伊藤幸雄、山中秀郎、山本貞夫、高橋裕晴、増谷紘次、風巻 錬、
山本克己、山岸正治、植原 郭、高橋 浩、綿貫益弘、高橋長敏
・・ぐっすり眠った3人を残して、女中さんのお菊さんの案内で、シトシト雨に煙るくらがりの河原に降りて行った。番傘を片手に、ローソクの灯りを足許近くまでおろし乍ら案内するお菊さんは、小柄な着物がよく似あう人だった。(中略)
湯船の上の窓にローソクを立ててくれたおキクさんは”どうぞ”と言って出て行った。キラキラ光って見えるお湯は、冷たい体には熱かったが徐々になれてきた。(中略)中学時代の応援歌に始まって、軍歌になり、果ては虎造節などをうなって一人悦に入っていた。
外で声がした”お湯加減どうですか。少しお水をいれましょうか。”私は正直びっくりした。この雨の中をお菊さんはまだ外に立ってお客の出るのを待っていたのだ。・・(山根徳太郎氏の文章)
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【どんな時代?】
山口百恵
1973年4月、映画『としごろ』に出演し同名の曲で歌手としてもデビューしたが、期待以下のセールスに止まったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。
それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。
年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得し、森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。
「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューではたいてい「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通した。
ウィキペディアより
【巻頭】マイ パスハンティング 江成正彦
・・やっとの思いで甘酒茶屋に着いた。ほっと一息ついてお茶などを飲みながらあとから来る仲間を待つ。全員集まってから、今度はおまちかねの石畳にかかる。
石畳といっても三百年以上も前に作られたものなのでごらんのとおり乗っていくわけにはいかずかつぎあげるしかない。・・
写真は、箱根石畳の道