◆ふたたび伊豆へ 伊東~下田~土肥~三島 木内真実
◆続世界選手権ピスト競技 沼 勉
◆川中島 今井彬彦
◆100年後のサイクリング 板倉 修、落合英作、月見 薫、寺島常蔵、萩原慎一、
日向義郎、今泉三郎
◆中山道1 園尾哲郎
◆10000キロの自転車旅行 斎藤 実
双輪漫筆 ー実業団レースと1000mT.Tと世界チャンピョンのことー 高橋長敏
オーダーメイド読本 第15回 自転車の性能 有吉一泰
#わが社のすいせん品 その1 ※各社1頁づつ紹介
■新家工業 ■アルプス自転車工業 ■安全自転車 ■片倉自転車
■光風自転車 ■山王スポーツ ■城東輪業社 ■土屋製作所
■東叡社 ■東京サイクリングセンター ■日米富士自転車
■ノートン自転車工業 ■丸石自転車 ■丸紅山口自転車 ■横尾双輪館
■石渡製作所 ■極東製作所 ■三光舎 ■杉野鉄工所 ■島野工業
■太平サドル ■大和ゴム化工 ■藤田サドル工業 ■前田鉄工所
■三ヶ島製作所 ■吉貝機械金属 ■的場商会
・・日本の自転車界のバイタリティーは、常に先進諸国の模倣から入って、短時間にそれに追い付き、製品の品質の上からも、多様さの上からの、それを凌駕する製品を作り上げて来た。(中略)これは一面から見れば、先進国が自己の製品の上に安住して、新しいものの開発に力をそそがなかったこともあるが、・・
【どんな時代?】
トヨタ・マークⅡ
1968年に、クラウンとコロナの中間に位置する車種として登場する。モデルチェンジごとにボディーの大型化と高級化が進み、1980年代後半には姉妹車のチェイサー、クレスタとともに、「マークII三兄弟」を形成し、当時の高級車(ハイソカー)ブームの中心的存在として高い人気を集めた。
また信頼性や耐久性の高さから、タクシー、ハイヤー、教習車、社用車やパトロールカーといった業務用車両や特殊車両としても使用された。
当時の小型セダン“コロナ”をよりスポーティに高級化した車 という開発コンセプトにより、端的にはその二次的車種という意味で “マークII” と命名。
発売初期のテレビCMには高島忠夫と寿美花代が出演し、岩谷時子作詞、山本直純作曲のCMソング「すてきなパパ、きれいなママ」を越路吹雪が歌唱した。
ウィキペディアより
◆ジロ メルクスの独走 鈴木正文
・・1968年5月20日から6月12日まで、全走行3,898㎞の(中略)第51回ジロディタリアである。参加選手は130名。1チーム10人づつの13チームである。スペイン、スイスから1チームづつ、フランスから2チーム、そして地元から9チームである。前大会優勝者ジモンディ、世界選手権者メルクス、ツール・ド・フランスのパンジォンなどが出ている。・・
・・そこに待ち構えていたファンは、新聞紙を手際よく選手に渡す。これは実に見事なタイミングで、渡す人とそれを受ける選手側には何の約束もないのだが、登りの後には下りと決まっているので、このコースの見物人は選手の胸に入れるための沢山の古新聞を用意しているのだ。(中略)
が、運悪く新聞紙を取れなった選手は下り80㎞/hものスピードで、冷たい凍るような風をまともに受けなければならないのだ。・・
※写真はメルクス
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