◆高橋松吉が210㎞に賭けたもの 90年世界選手権 代表選考大会 今井ちひろ
◆ルネ・エルス最後のシャントゥルー 今井千束
◆’89サイクルフェスティバル 東京国際見本市会場
◆メカニック★イン★USA 5 山口弘一
520円 114頁
高気圧模様 太田大輔
◆私をとらえる魔物について 福本 修、新田眞志
◆進化するCAT 薛 雅春
◆期待と危うさの間でときめく18才の可能性 橋川 健
◆追想 孤独の旅 1 一人旅の充実感、解放感 今井彬彦
杉野 安の舌万歩計から 31 ブラック・ピープル
パナソニックカップ スポニチ サイクルロードレース
気になる風景 高津 小上馬正和
# NC道案内 1 杖突峠(長野県) アルプスの展望台とロングダウンヒル
茅野~杖突峠~高遠~伊那市 38㎞
・・昔からサイクリストに人気のある峠で、一度は越えたい名峠。
諏訪側の急斜面をグングン高度を稼ぐと足もとに諏訪湖、茅野の町なみ、八ヶ岳から霧ヶ峰、美ヶ原、さらに穂高連峰(北アルプス)までの大パノラマがひろがる。・・
【どんな時代?】
美空ひばり 逝去
天才少女歌手と騒がれて12歳でデビュー。「昭和歌謡界の女王」と称えられ、女性初の国民栄誉賞を受賞。通算レコーディング曲数1,500曲、レコード累計売上8000万。
ひばり44歳の1981年、実母・喜美枝は68歳で他界。1982年、大親友の江利チエミが45歳で夭逝。近しい人たちを続いて失う悲痛に耐えかねて、酒とタバコに手を染め、か細い体を蝕まれる。
49歳、公演先の福岡市で極度の体調不良に陥り、緊急入院。重度の慢性肝炎と両側特発性大腿骨頭壊死症と診断され、入院療養。
1989年3月、ニッポン放送の特集番組に自宅から生出演し、生涯最後のコメントを残す。「ひばりに引退は有りません。ずっと歌い続けて、いつの間にかいなくなるのよ」。同年6月24日、ひばりは52年の生涯の幕を降ろした。死因は「特発性間質性肺炎」の悪化による呼吸不全。
◆高橋松吉が210㎞に賭けたもの 90年世界選手権 代表選考大会 今井ちひろ
・・「あのレースに勝負を駈けてます、見ててください。」彼の口調には、並々ならぬものがあった。そして、冬場も、ずっとトレーニングを続け、脚を作り体調を整えて、
4月19日に標準を合わせていた。
自転車レースを始めて18年目、彼にしかできないやり方で、この日に備え、結論を出そうとしていた。・・
※写真はスタート直前の高橋松吉(左)と森 幸春。
◆ワイワイツーリング 阿武隈 山本進一
・・戸草からの最後の登りには苦しんだ。もうほんの少しで宿だ、湯だ、酒だと思ってもなかなか進まない。入道温泉へは4時半すぎに着いた。田んぼに囲まれ、旧道入口の川の小さな橋を渡るとカヤぶき屋根が待っている。
飼犬が2匹、じゃれつくように坂をかけおりて出迎えにきた。先行組が早くも一風呂あびて浴衣がけの涼しい顔で窓から手をふっている。アノヤロウドモ、オボエテオレ。・・