◆私達のサイクルキャンピング 立教サイクリスツ・ツーリングC
◆ 東京ー宮崎変型サイクリング旅行 田島基紀
◆能登の旅 綿貫益弘
◆夕焼け紀行 北海道ツーリング日記 岡村洋一
100頁 150円 上高地(萩原慎一)
【口絵】九州横断道路 綿貫益弘
◆私のツーリング 信州紀行 今井彬彦
◆スポーツ車、部品の寸法 チェーンライン(2) 前田守一
◆カタログ紹介 ブルックス(英)
晩秋の奥日光快走 陶山勝治 / 三浦半島一周 斎藤 清
水戸・箱根ツアー 武石良一
#和田文平氏を悼む
前田安雄 / 菅沼達太郎 / 萩原慎一 / 興津武雄 / 左近光三 /
御園井宏昌 / 山田鉑雄 / 鳥山新一 / 今井彬彦
・・まことに忽然とした感じで、和田文平さんが亡くなられた。日本のサイクリングを語る場合にこの人をおいて、何も語れない。
特に戦前のサイクリングは、和田さんから始まり、何人かの若い人がその下に集まり、今日の基礎ができたわけで、その功績は大きいものがある。
最近の和田さんは、長老として一種独特の人気を持ち、若いものと一緒になって、走り活動し、多くのサイクリストを育て、サイクリング協会の理事として、指導にししとしてあきなかった。享年58才。・・(前田安雄氏の文章)
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・・サイクリング界の名物オヤジ、和田文平こと、イジワル爺さんが急逝した。「オイ爺さんオレだよ」「なんだ、ダンカか」「ダンナもヘチマもねえもんだ、なんだってそんなに急いで死んじゃったんだ、馬鹿々々しい」
「何をぬかしやがる、死んだものは仕方がねえんだ。まあーそこえ坐んな。オレはオメエみたいに野暮ったい人間じゃねえんだがどういうもんかウマが合うんだなあ」「どうとでもぬかしやがれ」
「ダンナ達とサイクリングが出来なくなったのも残念だが、有楽町のニュートーキョーのビールが飲めなくなっちゃった。こいつは残念だ」「代わりにオレが飲んでおくから安心しねえな」・・(左近光三氏の文章)
※写真は昭和35年ある座談会(中央和田氏、左端左近氏)
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【どんな時代?】
3C時代
1950年代後半、神武景気の頃、豊かさやあこがれの象徴として「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が、「三種の神器」と呼ばれた。
1960年代半ばのいざなぎ景気時代には、カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝された。
これら3種類の耐久消費財の頭文字が総てCであることから、3Cとも呼ばれた。
中でも普及が早かったのは1964年の東京オリンピックを境に売れ出したカラーテレビで、一番遅かったのはクーラーである。
ウィキペディアより
◆南九州ツーリング 菊池昭夫
・・エビノ高原から小林市への下りがひどかった。23㎞の下りのうち約半分は有料道路であったが全部砂利であった。
それも砂利が積もっていると云う形容がピッタリのまことに自転車には向いていない道で、ブレーキのかけっぱなしで2時間半もかかった。
時々休んでも手がしびれてしまい人差し指にはタコが出来た。小林市内の舗装道路に入った時はまるで高級ジュウタンの上を歩く感じだった。・・