◆エプソンボスコの西独ステージレース参加記 富樫慎治
◆高橋松吉 90年9月2日(世界選日本開催)、沸騰点への序章
◆下関-青森 リレータイムトライアルの記録(続)港CC 植原 郭
520円 124頁
やわらかな時 太田大輔
◆NC道案内 5 林道 湯之奥・猪之頭線(山梨県)
◆スギノテクノ テンションディスク / ルックツーリングシューズ 五味隆登
キャットアイ ATC CC-8000 シチズン スポルテ・アルティメーター 薛 雅春
杉野 安の舌万歩計から 36 フランスの結婚式
【クラブハウス】ヨコハマ・サイクリング・クラブ(横浜市)
気になる風景 椰子の実 小上馬正和
オーディナリーサイクル世界選手権 日本で初めて開かれただるま自転車の大会
ニューパスハンティング実走レポート 伊勢松坂の峠
# 第6回シマノ グリーンピアロードレース
・・第1回大会2000名でスタートしたこの大会、回を重ねるごとに参加者を増やし、今年は何と4500名ものボリュームに達する程の人気を得ている。・・
■同国際ロードレース 高田健司
・・プロフェッショナルチーム・トーシバ、西独オリンピア=ドルトムントを中心に、日本の有力選手がチェックをかけるという予想通りの展開となった。・・
【どんな時代?】
ベルリンの壁崩壊
1989年11月9日に、それまで市民の大量出国の事態にさらされていた東ドイツ政府が、その対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令を制定することを決定した。
ところがその政令の内容をよく把握していなかった報道官が記者会見で「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したため、その日の夜にベルリンの壁にベルリン市民が殺到し混乱の中で国境検問所が開放された。
そして翌日1989年11月10日にベルリンの壁の撤去作業が始まった。これにより、1961年のベルリンの壁着工から28年間にわたる、東西ベルリンが遮断されてきた東西分断の歴史は終結した。
これは東欧革命を象徴する出来事であり、この事件を皮切りに東欧諸国では続々と共産党政府が倒された。そして、翌年1990年10月3日に東西ドイツの統一がなされた。
ウィキペディアより
◆ 私をとらえる魔物について 高田健司氏
・・これ(自転車)が移動の手段でなくなったのは、中学校に入ってからの田村(田村陽一氏)と奥田(奥田茂雄氏)との出会いでしょうネ。
中学校一年、同じクラスで、この3人は成績も一番二番を争う仲間だったんですけど、我々はサイクリストという意識をそれぞれが持っていて、お互いに影響し合っていましたネ。
西の旅サイ(旅とサイクリスト)、東のニューサイ、この二つの雑誌の影響は大きかったですヨ。・・
◆アラウン・ザ・ワールド700C 鈴木邦友 (全8頁)
・・国産初の700Cが登場したのは、確か1976年だったと思います。国産といえども、27インチタイヤとは別格の、クラブサイクリスト好みの、高級感漂うスポルティフなものでした。
ただし、当時は27インチが全盛であったため、実際それを喜んだのは一部のクラブサイクリストと、チューブラータイヤ愛好家くらいで、逆にショップサイドでは、「650Bに次いで、また一つ余計なものが出た」と、敬遠されていました。・・
(*゚▽゚)ノ この記事の一部をお読みになりたい方はこちら