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新潟・山形・秋田縦貫の旅(1996年2月号)H8

◆福島国体にゃはははリポート  上阪卓郎

◆都会人たちへの旅報告 12 高倉峠・その後の徳山村ほか  山本進一

◆こだわりの一台 ビアンキ 高村精一(タカムラ製作所)、新田眞志 

◆とれとればいく ルート探しサイクリング 95→96シリーズ前半3戦レポート

 

f:id:jcao:20180920064832j:plain580円 82頁

                  京都北山百井峠  森 浩史

【巻頭】フォト クラシック X'mas カード(イギリス)

◆My  Way  side トランス・ポジション  小上馬正和

◆12月号My  Way  side SMITH(小上馬氏)について  小池一介

 

# 東北日本海農の風景 新潟・山形・秋田縦貫の旅  山本進一 

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・・雨上がりの道を次の一本木峠へと走り出した。このあたりの田はすっかり一面の稲杭のつらなりとなって、山あいに見渡すかぎりの美しい風景を作っている。

 

 県境の雷峠より向こう側はハサ一色、そうしてこちらは稲杭ばかりという、この農の風景の一瞬の切り替わりは驚くばかりに鮮やかだ。・・ 

 

 

 

 

 

【どんな時代?】

 横山やすし 死去

 1961年、横山ノックに弟子入りして現在の芸名をもらい、西川きよしとコンビを組んだ。漫才ブームの到来と共に「やすきよ漫才」として記録的な人気を博した。

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 しかし、酒癖の悪さと暴力癖から、起こすトラブルは数多く、1986年には西川きよしが政界に転身したことでコンビ仕事がなくなり、ますます酒に溺れて完全なアルコール依存症状態に陥ってしまう。


 1996年1月21日、自宅で死亡しているのを発見された。死因はアルコール性肝硬変。享年51歳。

 

 破天荒な彼の素顔は実は気が小さかったらしく、酒に溺れていったのはそのせいだったともいわれている。

     ピクシブ百科事典より

 

 

 

 

 

◆こだわりの一台 ビアンキ  高村精一(タカムラ製作所)、新田眞志

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 ・・1964年に開催された東京オリンピックの頃に購入されたモデルのことであって、今から30年以上も昔のマシンになるが、

 

使い勝手を良くするために、至るところに穴あけや機械的な加工を施すなど、オーナーの手が大幅に入れられており、オリジナルな姿よりも一層精悍さを増した仕上がりとなっている。・・(新田眞志氏の文章)